難しい文章の練習
せっかくの休みなので、国語の読解もゆっくり練習。
とはいえ、もう私から教えることなどほとんど残っていない。
最後?は、難しい文章の読解練習だ。
長い道のり
思えば長いこと国語の特訓をしてきたものだ。
算数予習とGW国語特訓開始
全国公開模試第2回の復習と、GW向け国語特訓の開始
長男くんと続・国語特訓
どうして一番大事なところを読まないの?
家族で抜き出しゲーム
サンドバッグの汚名挽回なるか
抜き出すときに間違った答えになるんじゃあない。
抜き出す箇所の字数が数えられなかったのだ。
何を言っているかわからねーかもしれねーがオレにも何が起きていたのかよくわからねー。
抜き出す箇所を特定しておきながら、何文字かがわからない。
誤字や脱字なんてチャチなもんじゃあ断じてねぇ。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。
そんなポルナレフ状態だったけど、30分くらい隣に座って、律儀に、1,2,3,4,…と手本を見せてあげたら出来るようになっていった。
いやー、人って成長する生き物なんだなぁ。
国語も、出来るようになるんだなぁ。
今じゃあそれなりの難問も、それなりに長い記述も、自分で出来るのだから素晴らしい。
理屈で解け
そんな彼に5年の冬から教えてきたのは、「設問をしっかり読め」という読み方。
「設問に目を通してから文章を読む」という方法も教えたけど、それとは別に。
ちなみに、設問→文章の読み方にも、まぁ是非もある。
ただ、私的には、文章を読み返す頻度を限りなく1に近づけるには、効率的かなぁとは思っているけど。
その、文章→設問 or 設問→文章の順番はともかく、教えたのは、「設問をしっかり読め」ということ。
とはいっても、簡単に分かる問題のときのことを意識的にやる、というだけ。
国語の簡単に解ける問題というのは、設問を読んだ瞬間に、文章のココに書いてあって、答えは何で、と思い浮かぶ。
その後、それを記述にまとめたり、選択肢で選んだりするわけだけど。
残念ながら、難しい問題というのは、まずそんな簡単に解けない。
でも、実際は、何かが難しいだけであって、解く理屈というのはそんなに変わっているものでもない。
だから、国語で覚えるべき・学ぶべきなのは、「なぜ答えが文章のそこにあるのか?」という理屈。
そんなことを長男くんに教えてきた。
その理由を、ついに詳らかに説明しつつ、そういう問題に挑ませる。
さっぱり意味が分からない
なぜ理屈で解けるようにならなければいけないか?
それは、ほぼ同じ命題として、国語の難しい問題とは何が難しくて、どうすれば解けるのか?
別の科目の、算数や理科だと、「難しい問題」というのは、発想が難しかったり、基本の適用が難しかったり、問題文の解釈が難しかったり、だと思う。
その難しさは、分かりやすい。
レベルが違うというのが肌で分かる。
それに、分かったときには疑問点は残らない。
自分には難しくなくなる、という感じ。
ちなみに、残る科目の社会では「難しい問題」というのが私には正直よく分からない。
「知らない」「覚えてない」はあっても、「分からない」という経験をしたことが、残念ながら中高公立で大受にも使わなかった身ではほとんどない。
一方で国語の「難しい」は何か?
それは、端的に言って、説明文では語彙、物語文では書いていない心情、だと思う。
「語彙は全部分かるのに難しい説明文」というのは結局は下手な文章という可能性を疑った方がいいし、「書いていない心情」は書いていない以上、推理が混じってしまい断定には至らない。
ただ、その難しさは、結局、点を取るのには全く関係ない。
難しいけれど、言い換えると気持ち悪いだけ。
点は取れる。
よほどイジワルでない限り、そんなところが問われることはないから。
つまり、分からないものは分からないままだけど、解答の特定には関係ない。
例えば、今回の題材にした説明的文章、設問はこうだ。
「傍線部の『人間関係の函数(かんすう)』とはどういうことか?説明しなさい」。
函数って、何…?
調べたところ、どうやら「関数」の旧字?というか初め中国の字を当てたところ常用漢字でないので、その後「関数」へ置き換えが進んだ字らしい。
そんなもの、理系の私ですら知らない。
「関数」なのだと分かったところで、「人間関係の関数」と俺たちに言われても…、な感じだ。
もし私が下弦の鬼であったなら、パワハラされてしまうところだろう。
国語は、こういうのを解けないといけない。
だから理屈で解け
結局、私には著者がなぜこんな風に表現しているのかはよく分からなかった。
せいぜい読解に掛けられるのは20-30分。
そんなところまで推し量る余裕などない。
ただ、この問題は非常に易問。
解き方としては、実は、この傍線部の前には指示語がついている。
そこで直前の文を見ると、ほぼ同じ文構成で、同じ内容を言い換えて繰り返しているだけなことに気づく。
だから、この傍線部に相当する部分を、1つ前の方の部分に読み替えて、まとめるだけ。
問題のパターンとしては、「指示語で、直前の文を読む」。
ただそれだけの問題。
それで点は取れる。
なお、直前の文の意味は、「人間は他人との比較によって自身の個性を見出す」ということが書いてあった。
それを、「人間関係の関数」と表現するのは正直理解は出来ない。
関数というのは、写像であったり、何か別のものを別に変化させるようなことが私のイメージで、対比とかの機能は別に持っていないので、うーん?という感じだ。
でも、点は取れる。
結局、傍線部の表現内容は分からなくても。
最後に教えるのはそんな読み方。
文章の内容なんて、全部理解する必要はない。
難しい文章では、そんなことは土台不可能だ。
古来から伝わる良書なんていうものは、何度も何度も読み返して理解するものなのだし。
長男くん、キミの目的は、文章の内容を「完全に」理解することでなく、テストで点を取ることだ。
全部分からなくていい
ちなみに、これは、勉強以外、仕事でも生活でも同じだよ。
人間と人間がコミュニケーションをするとき、情報のロスは必ず発生する。
0%に近づけられても、0%には出来ない。
理系を志すなら、0%とそうではないことの差は理解して厳密に扱いなさい。
だから、確実に伝えたいことは何度も何度も繰り返して、ときには同じ意味で表現を変えて、伝えるんだ。
どれかがヒットすればいい。
そういったときに、伝達にロスが発生した部分を気にしすぎるな。
特に国語は。
点が取れりゃあいいんだよ、点がとれりゃあ。
コミュニケーションのロスは、同じ人間、いや同じ人間であっても時間が経っていたりしたら、絶対に防げないからね。
文章であれば。
歴史の文書とか、読み間違い起こるってこの前社会で出たでしょ?
でも、そのロスが限りなく減ったのが、公式だ。
たとえばキミも知っているであろうピタゴラスの公式 c^2 = a^2 + b^2。
アレは、噂では4000年前からあの形で、今と同じ意味だ。
そういう数式の美しさを理解できるように中学になったら…。
…あー、物語文はって?
書いてねぇことなんざ分かるわけねぇだろ。
ノリだ、ノリ。
人生経験積んで来い。
今回は、少年が少女に恋する話か?
よし、お前、明日誰かに告ってこい。
どこが好きとか聞かれたら、「物語文が解けるようになりたいから」で十分だろ。
失恋も人生経験の一つだ。
恋を失うのかはともかく。
ん?少女が主人公の話はどうするかって?
…そりゃあお前、前世が少女だったことに賭けて前世の記憶を手に入れればいいんじゃあねぇの?
空気中を漂う魂成分から記憶情報の抽出、自身の海馬に定着、任意のタイミングでのデリート、あたりが要件か。
まぁ、マジレスすると、書いてない情報から簡単には推測できないガチ目な心情問題なんて、解けなくても合否に影響しねぇからどうでもいいよ、マジで。
でも、書いてあることからは推理しろよ?
心情の推理は、直前のイベント&直後の行動から、だよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿