続・ハンドブック

2021年8月17日火曜日

勉強方法

長男くんと授業の気づき 

この前、「授業で何を学びましたか?」をオレに聞いてきた長男くん。
いたの?オレ。教室に。
シーンを思い浮かべるとシュールっすね。

まだ1桁才のお子様もいる中で、ドドーンと座る40手前のオッサン。
「先生、申し訳ありません、わかりません」とか言ってるわけ?
きっちいな。

そんな激しいバトルの末、彼は何を学んだのか。

激しいバトルの詳細

もう恥ずかしいやら、収まりがつかないやら、ブログに書く気にもなれなかったのだけれど、こういうこともあったと記録しておけばいつか笑い話になるかもしれない。

本当にバトルが激しいと事案になってしまうので、こちらは極力おだやかーに対応していた。
でも泣き喚くし、ポコポコなぐってくるし、大粒の涙を流すし。


気づきなんて、そりゃ大人なら適当にいくらでもでっち上げられるけどさ。
だからといって、コレを代わりにってのは、依存が強すぎでしょ。

多分、途中で「何か書く」から「パパに教えてもらう」に目的が変わるんだろうな。
だから、「思いついたことを何か書きなさい」と言っても、考えようともしないんだろう。
彼にとっては、「オレから」答えを聞きたいのだから。

うーん、こうなったときに、どうするのが正しいのか?

親が熱くなるのは得策ではないというのは、二月の勝者やらでも読んだし、読むまでもなく両者共倒れで幸せな結末は見えない。
しかし、こちらは冷静でも、子どもがヒートアップ、諭しても聞かない、という状況は…。

そういや、そういうケもある子だったなぁ。
赤ん坊のころ、憤怒痙攣とかもたびたび起こしていたっけ。
普段ひょうきんで素直だから、最近忘れてたけど。
泣き出すくらい気持ちが昂ると、気持ちの切り替えが下手な子。

幸い?家に二人きり。
あと10分もすれば妻と二男くんが帰宅する。
別の部屋に行っても追いかけてくるだろうから、置いて、出て行ってみよう。
オレが目の前からいなくなれば、目的が「何か書く」に戻るかもしれない。
ついてくるとは思えないし、もしついてきたら一緒に散歩して気分転換しよう。

そして、子を一人残して散歩に出ていく父。
行かないでという声を振り切って玄関から出て行っても、泣き出すような声は聞こえない。
変なことになっていないか家の様子をうかがいながら、家の周りをテクテク歩く中年男性。
我ながら不審者丸出しだな。
…授業の気づき程度のことで、なんでこんなことになってんのやら。

これは虐待に当たるのだろうか。

子ども虐待禁止オレンジリボン運動によると、虐待としつけの境界はグレーらしいが、判断基準は子どもの側に立つことらしい。
「児童虐待の防止等に関する法律」により、子ども虐待の定義は、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待となりました。しかしこの定義が明らかになっても、なお、子ども虐待とはなんぞや、と考えさせられる場面があります。それは、虐待としつけの違いについてです。
虐待としつけ。この二者間には、しっかりと線引きできないグレイゾーンが存在します。が、多数の事例に関わってきた福祉、保健関係者や精神科医、小児科医などが言うように「子どもが耐え難い苦痛を感じることであれば、それは虐待である」と考えるべきだと思います。
保護者が子どものためだと考えていても、過剰な教育や厳しいしつけによって子どもの心や体の発達が阻害されるほどであれば、あくまで子どもの側に立って判断し、虐待と捉えるべきでしょう。
結局、今回のオレの行動は、過剰な教育や厳しいしつけになるのか?
最終的には、「泣くな」「とにかく落ち着け」というだけだったけれど、それでも聞かず20分くらい泣き叫ぶ子に対してどうすればいいんだろう。

子どものためにならないと思っていても、子どもが耐え難い苦痛を感じるなら、子ども自身の問題に対して答えを与え続けるべきなのだろうか?
たった前日に、「こういう気づきが書けるように授業を聞くんだよ」と教えたにも関わらず?

結果として、子どもの心や体の発達を阻害しない範囲なら、虐待ではないのか?
よくわからない。
外にいる範囲で最大限、何か変なことにならないようには注意したけれど。
それでも、刃物でも取り出して…とでもなっていたら気づけなかっただろうが。

家に帰って

予想通り妻と二男くんは10分程度で帰宅(見てた)。
その後5分くらいおいてオレも帰宅。
しずかに机に向かっている長男くん。

…なんだか少しイラっとする。あれだけ泣き叫んでいたのは何だったんだ。
出て行った手前、こちらも何食わぬ顔で勉強を見始めるというのも居心地悪い。
「謝ってくるなら考えてあげるけどね、ふん!」と思ってネットサーフィン。

しばらくしてやり終えてから、ボソッと「気づきも書いたよ」と。
見たらダメ出ししてしまいそうだし、「ふーん」と返事。
器が小さい…。

翌日も勉強を見る気にはなれず、何やるかのタスク表もプリントアウトせず。
「プリントないから今日何もしないでいいんだよね?」と朝一番、笑顔での一言にカチンときて、「人の言うこと聞かないんだから、自分で考えたら?」と冷たく返事。

その後、昼ご飯食べてからフテ寝。
おちょこサイズの器。

長男くんはなんだか勉強をしていたっぽい。
…っていうか、勉強、やるのか。
親はフテ寝しているのに。オレが隣にいないのに。
半分は、今日は何もしなくても別に構わない、とも思ったのに。

「どうせ内容は大したことないんだろうけどね、ふん!」と思っていたら。
後で妻に聞いたら、夏期講習で既にやった範囲の復習と翌日の予習、漢字、国語の問題集と、私が考えていたのとほぼ同じメニューをこなしたらしい。
特に、夏期講習テスト前の最後の休日だから、漢字が必要。
私が隣で見ているよりも、怪しいところはあるのだろうけど。
それでも、自分一人で勉強したようだ。

大騒ぎしたハンドブックには、何回か書き直して消しきれなくなった跡の上に、「大事な箇所に線を引く」とだけ書いてあった。
どこだよ、大事な箇所って?それをどう見分けるんだよ?
それでも、自分で書いていた。

すごい、子だ。

次の日から

次の日からは、気づきについてはしっかり授業中に考えておくようになった。
ここのところは、帰ってきてすぐにメモっておいた事柄をすぐに写している。
面と向かって伝えるのは照れくさいから、妻経由で「とても褒めていた」と伝えてもらった。

気づきの後に書く、「どう学びたいか?」については書き方がよくわからないのか、まだ手間取る。
そこは改めて、「気づきの部分が達成できるような目標を具体的に立てるんだよ」と教えた。
もっと慣れると、それが書きやすいような気付きを書くんだけどね。

しかし、こういう生活面については、ある程度の痛い目を見た方が改善しやすいのかもしれない?
意識が変われば、出来ることだからかな。
…意識が変わるだけで、出来るようになるんだな。

ただ、長男くんが痛い目を見るような事柄だと、オレにもダメージがでかいのだけれど。
まぁ、そこは親なのだし、もう少し大きく見守れるようになろう。

勉強の内容については、わからないところをガンガン教えるように褒めて伸ばす方向が間違いなくいいのだろうけど。
でも、思ったより勉強も一人で出来るんじゃん。
1回目はともかく、2回目以降の復習なら自分でやれるかな。

しかし、長男くんが、昂ぶると言うこと聞かない子?気持ちの切り替えの下手な子?
なんのことはない、遺伝だよ。
オレの方が、もっと程度がひどい子どもだったんだから。
っていうか、ぶっちゃけ長男くん・次男くんの検診で特性の選択肢を見たとき、「あ、これ、こっちの特性の子を見つけたいんだな」っていうのに、ガンガン当てはまりましたし。
子どもの頃の気持ちで質問に答えたら、余裕で疑いが強いってさ。

もし私だったら、意地でも、勉強もせずハンドブックも書かなかっただろう。
それが、自分で予定から決めて勉強もして、ハンドブックも書いたのか。
いつまでも子どもだと思っていないで、もっと敬意をもって接するべき、か。