パパと不思議な感情

2024年1月28日日曜日

生活 入試

たとえ落ちても

最近、子ども達を早く寝かせるようになった。

すでに夜遅くまでの授業は終わっていて、夜更かしさせるメリットもない。
であれば、朝早めに起こして、入試対策をした方がいいだろう。
まだ早起きに慣れずに眠ければ、家の中の動線まで暖めた上で、朝風呂という手もあるし。

そんなわけで、夜には時間が出来てしまう。
時間が出来てしまうと、余計なことが頭をよぎってしまう。

授業が終わった

そういえば、授業が終わった。
3年間、お疲れさま。

まだ受験が終わったわけではないのでほどほどといったところだけれど、今週のお迎えでは若干感傷に浸ることもあった。

…あぁ、待ち合わせのときといい、いろんな表情を見て来たなぁ。

「分からないから辞めたい」と言っていた彼の勉強を見始めて、「今日こそは悲しい顔をせずに帰って来て欲しい」と何度願っただろう?
その長男くんが、結局ほとんど休むこともなく通塾をしてきたのか。



普段からそんなに元気のない顔を見せるわけではない彼だけど、習うことがたくさんあった前期でも、あの夏期講習でも、丸一週間まるで休みがないような後期のときでも、ただただ楽しそうにしていたのが印象的な一年だった。

…まぁ、とはいっても、まだ受験終わってないからね。

まとめに入るのは早すぎる。

オトコが泣くのは、すべてを終えたときだけ、だぜ。

止まらない不安

もともと6時起きの生活に切り替えていたけれど、頭が働くという3時間前起床だとすれば、朝の早い学校には6時では間に合わない。

まぁ、あと30分くらいだ。
もうちょっとだけ早起きを頑張ろうか?

塾もないから、夜も21時を目安に就寝。
8時間半くらいは寝られるわけだ。

そうすると、それから一息ついてもまだ22時。
明日の勉強のスケジュールを考えて、などすると、どうしても頭をよぎってしまう。

チャレンジな熱望校、落ちたらどうしよう。

…いや、チャレンジなのだから、しょうがないのだけれど。

自分でも、一体何がこんなに不安になるのかよく分からない。

勉強の内容としては、十分すぎるほど出来たと思う。
まだ、リード文の読解といった物足りないところはあるにしても、自分の知っているフィールドに持ち込めさえすれば、もう私より速い。

親の意地として「私より出来る」とは言いたくないけれど、残念ながらもう算社理では敵わないかもしれないな、と思う今日この頃。
日を追うごとに成長していった1月、特に社会と算数はもう若干ついていけない。
解くのが速すぎるし、解答や解法を先に読んでいて「コレは無理だろうな、少なくとも私には」という問題にも正解してくることが増えた。

しかも、算数、尋常じゃないほど計算ミスしないんだけど。
何アレ。
本当に同じ人類なのだろうか?

まぁ、あくまで、「リード文をしっかり解釈した状態でなら」という条件付きではあるけれど。
最後に、まだそういう練習をするとは思わなかったけれど、ある意味ふさわしいのかな。

その上で、おそらくはなお届かないチャレンジ校。
結局1週間前に至っても、過去問で安定して超えられたということはなかった。

…まぁ、元よりリード文読めなきゃ、解けるような学校じゃないんだけどね。

私が重大な場面での決断のときによく考えるように、「もし今この状況になるということを知った上で半年前に戻れたなら」と思ってみても。
おそらく、やってきたこと、やれたことに修正すべき点はあまりない。

振り返ってみても、「コレは無駄だった」と思うような教材や、「もっと早くコレを教えておけば」というようなことは、ほぼ皆無だ。

全てが何らかの形で彼の中に取り込まれていって、今の状況に繋がっているのだと思う。

ましてや、「もっと勉強出来た」ということはない。
そりゃあ、学校をもっと休んでみたり、日能研の本科頻度を減らしたりという選択肢もあったかもしれないけど、とはいっても、それほど今の状況が変わっているとは思えない。

…自分のことなら、ここまで来れば、「やれるだけやったよね」と思えて不安もなくなるのだけれど。

我が子の試練

きっとこの不安は、子どもの受験だからこそなのだろう。

自分のことであれば、結果が不合格だとしても、「残念。でも、やるだけやった」で終わらせられる。
受験でも、仕事でも、他には告白やらプロポーズやらでも、そう思って取り組んで本番を迎えられた。

しかし、対象が子どもの受験である場合、おそらく私は不合格が怖いんじゃない。

それによって傷ついてしまうであろう、息子が、それを受け止める自分が怖い。

普段飄々としている彼が、きっと、泣きだしてしまうほどショックを受ける。
あんなに頑張ったのに。
その努力を一番、間近で見ていたのに。
あの、幼かった息子が、一生懸命頑張って、でも夢が叶わずに打ちひしがれてしまう。

そんな姿に、耐えられるのかなと思ってしまう。

「やりたくない」とすら言っていたのを、3年もの間、頑張らせたのに。
頑張らせてしまったのに。
それでも、望む成果を手にさせてあげられなかった。
そんなことに、挑ませてしまった。
結局、十分に導いてあげることができなかった。

そんな不甲斐ない自分を、許せるのかなと思ってしまう。

傲慢

…でも、ここまで書いていて、気づく。

彼の合否は、彼だけのものだ。
私が合否まで保証してあげることなんてできるわけもない。

「導いてあげられなかった」なんていうのは、単に私の傲慢。
ちょっと2,3年、中受の教材やらに取り組んだ程度で、何を言っているのか。

たまたま私は試験勉強というジャンルは得意ではあったから対策を教えることが出来たけれど、元々、ただの父親なんだから。

受験前になってきてからあまり思えなくなってはいたものの、所詮は中学受験。
単なる人生の一場面。
今後も続いていく人生の中で、失敗しないで生きていける人間なんて少ない。

だったら、息子が真摯に努力した結果を一緒に受け止めて、望まない結果であれば共に悲しんで、また前を向いて頑張っていけるように励ましてあげればいい。

そして、全部が終わったら、自慢の息子に対して、「一緒に過ごしてくれて、頑張ってくれて、本当に幸せな3年間だった」と伝えよう。
もう、あと私ができるのはその程度だ。

…と、頭では分かっているつもりなんだけどね。

なんだろう、この、消えない胸の動悸は。

半分悟ったような自分もいる中で、「まだ、まだ何かやれることはないのか!?」と巡らせてしまう自分がいる。

…さて、早めに寝るか。
私も5時半起きだ。