長男くんの記憶力

2023年8月26日土曜日

生活

とある日の公文CM

我が子達は二人とも幼少期から公文に通っていた。
保育園から、小3、いや新小4で日能研に入るまで。

二男くんも約半年前までは通っていたのだけれど、もうすっかり親としては過去のこと。

そんなある日、公文のCMが流れて…?

公文の日々

公文は基本的には自学を助けるというものだったと思う。
勉強のスタイルとしては反復派。

国語と算数をやっていたのだけれど、内容はほとんど機械的。
大人から見れば。

国語は文章題で、ほぼ抜き出しばかり。
算数は計算、それも、数字が似通った練習ばかり。
例えば、二桁×一桁だと、19×8の次が、19×7、というような。

別にそれが悪いとは思わない。

むしろ小学校入学前~低学年だったからそれくらい簡単で良かったし、何より目標は「勉強習慣の習得」。
机に向かうハードルが高かったらイヤになってしまう。

それに、内容はけっこうイイと思っていた。
国語も文の大事なところに関する部分での抜き出しになっていると思ったし、算数も簡単とはいえ「暗算でやれ」という方針だったから計算力はついた。

息子達

その頃の息子達の出来がどうだったかと言えば。

まぁ、二男くんはさほど問題はなかった。
つまづいたときに悩んでしまって、なかなか聞きに来れなかったり。
とはいえ、当時に1,2年生で、2,3年生近く上の内容を勉強するとき、反復の1回目で悩む程度。

国語は、学年が上がったときに文章が難しくなってきてしまうと戸惑っていたけれど。

概ねスムーズにはやれていた。

問題は長男くんの方だった。
進みは悪かった。

国語は、学年相当のことをやっていたからかそこまでハマることは少なかったけど、
算数が、かなり辛かった。
それでも、小2くらいまではまだ九九とかでどうにかなっていたものの、筆算のあたりからはわりと致命的。
1単元1単元の飲み込みが悪く、おそらく2単元前のことはもうできないだろうな、というような有様。

多分、教室でも分かるようには教えてもらっていなかったのかな。
だからどうやって教えていいかもよく分からず、時折、ひとしきり教えてから、ときには怒鳴って、その後に答えだけ教えて、な日々。

まぁ、それでも二人とも机に向かってやろうとはするから、それでいいや、という感じ。
おそらく考える力が身に着くという意味での勉強にはなっていないだろうけど、習慣は身に着いている。
それはきっと中学以降くらいの、もっと大人になったときに生きてくるはずだろうと。

そんな、まだ中受の世界を知らなかった頃の私の考え。

つい最近のテレビ

夏期講習の休みだったか、家族でテレビを見ていると、公文のCMが流れていた。

あー、なつかしいねぇ。
キミ達もやっていたっけ。
長男くんは約2年半前まで、二男くんは約半年前までやっていたなぁ。

そんな話を振ってみると、最近表現力がついてきたのか長男くんが語り出す。

「公文かぁ。公文は、初めての単元が大変だったなぁ。分からないと自分で聞きに行かないといけないんだよね。まぁ、ボクはそういうことあんまりなかったけど

はぁ!?

お、妻とハモった。

いや、お前、公文、けっこーできてなかったぞ?

「あれーそうだったっけ?」

お、おぉ。
けっこー大変そうにやっていたぞ。
あんま、覚えてない?

「うん、よく覚えてないなー」

…そうか。
まぁ、当時は、机に向かう習慣をつけるのが目的だったからな。
勉強の仕方自体は、あんまりお前とは合っていなかったのかもな…。

信じられない

その後も少し、私が覚えている個別の問題を聞いてみたものの、全く覚えていないらしい。

そうか。
子どもの記憶だし、そんなものなのかもな。

当時、頑張ったときはそれなりに頑張って教えていたんだけどな。

もしかしたら、これまでの日能研のことも、これからの入試に向けてのことも、記憶は薄れてしまっていくのかもしれない。
私自身も、自分の受験のことをなんでもかんでも覚えているわけでもないし。

そう思うと、こんな風にブログを書いてきたのも、10年、20年経ったりしたときに、懐かしく思い返すのかもしれないな。
まぁ、長くて読み返すのイヤになっているかもしれないけど。

せめて、「思い出したくもない」というような記憶にならないといいけど。