パパの小学生時代

2022年11月5日土曜日

生活

愛らしい少年はむ 

長男くんのクラスで、通塾組と非通塾組とで諍いがあるらしい。
勉強は、コンプレックスを生みやすいからなぁ。
出来ない側からすると、「塾に行っているから」というのは分かりやすく悪意を向ける対象となりやすい。

悪意のある環境で、それにさらされてしまうと、ストレスがたまるもの。
私も学校は人相応に嫌だったはずだったけど、小学校のときとかどうしてたっけ?

私の小学校時代

そんなことを振り返りつつ思い出してみれば、軽くイジメを受けていたような気がする?
ただ、随分と明後日の感想を抱いている、我ながら愛らしい少年だった。

まず、私には6歳上の兄がいる。
つまり、私が小学生の当時はもう、中学・高校だ。
仲が良かった。毎日一緒にゲームを数時間やったりするくらい。

あと、私にはアル中で酒乱の父がいた。
酒を飲み過ぎて脳が縮んでしまったくらいの。
そんなこともあって、私は兄のことを父のようにも思って尊敬していた。

というようなこともあり、小学校のクラスメイトとは仲良くなろうと思わない程度に拗らせていた。
「オレは中学生・高校生のおにいちゃんと遊んでるんだぜ、ガキみたいな遊びが出来るかよ」と。
要するに、若干早めな発症だ。

だからクラスメイトのことは心底どうでもよかった。
今、名前が誰一人出てこなくて愕然としている。
顔とか思い出はうっすらあるんだけど。

あと、長男くんとは違って、天邪鬼だった。
指示を理解した上で、ただただそれに従いたくない、そんなオレ、かっこいい、というような、真正の協調性ゼロ。
だから学級委員タイプの子や、それを擁護するような子とは相性が悪かった。

でも、成績は良かった。
田舎の塾だから受験用なのかどうかも知らないけど、塾に行っている子とも同じくらいの成績。
というか、カラーテストの満点まででしか計測しないんだから、良かったというほどではないかもしれないけれど。

サイエンス イズ エレガント

それで、目を付けられでもしてしまったのかもしれない。
あんまり分かっていなかったのか、強い態度ではなかったのか、単に仲良くなりたかったのか。
少なくとも当時の私は「彼らは私と仲良くなりたいんだな」と思っていた。

一度、私は普通に話しているつもりだったのだけれど、なぜか急にその子達が私の筆箱から鉛筆を取り出してペキペキと折っていったことがあった。
こう、机に、強く鉛筆の芯を押し付けるようにして。笑いながら。

なぜそんなことを始めたのか分からなかったが、その光景は、今でも、強く、鮮明に残っている。

そのとき私は、ものすごく感動したのだ。震えるほどに。

手で力を入れているのは、どう見ても鉛筆の本体部分だ。
そして、机に当たっているのは、鉛筆の先端。
にも関わらず、机に触れてもいない、鉛筆の本体と芯の間が折れる。

たしかに、そこが折れそうだというのは分かる。
でも、なぜだ?なぜそこが折れる?
力が、そこに、かかっている?
触れてもいないところに、力が、かかる?

今では分かるけど、てこの原理の別バージョンを間近で確認した瞬間だった。
シーソー型のものは見たことがあったけど、力点・作用点・支点の順に並ぶタイプは珍しかったのだろう。

となれば自分でも試してみたくなる私。
その話していた友達の中で一番近いところに筆箱があった女子の鉛筆を借りる。
私の筆箱には、折れていない鉛筆が残り一本しかないのだから、自分のが使えないのは当たり前だ。
授業が受けられなくなってしまう。

少しウニュウニュと抵抗された気がしたけれど、そこはアル中で酒乱の父のおかげ、怒鳴ることと叩くことに抵抗のない私が少し大きい声を出しただけで貸してくれた。
「お前らが折ったからオレの鉛筆はもう使えねーだろ!!」って。

「おー!本当にここに力がかかるんだー!」と言ってまず一本へし折った。
あと、その子は塾に行っていたから鉛筆だけでなく準備をしていたのかな、目についたシャーペンでも試してみた。
そのとき、私はシャーペンを持っていなかったので、どんなものか試したかった。

鉛筆で折る感覚は分かったから、その直前あたりで止める。
けれど、鉛筆よりも大きな力が必要だ。  
でも、鉛筆を折ったより大きな力を掛けるのに、手に込める力は少しで済んだ。

「シャーペンって鉛筆より硬いんだなー。でも、これならやろうと思えば折れるかな」と、実験結果を協力者達に報告した。
「すごいなー、この折り方、おもしれー!!」って感想付きで。

…今になって逆の立場になれば、鉛筆折られた仕返しをしている感じにしか見えないうえに、鉛筆に比べると取り返しのつかないシャーペンにまで手を伸ばすヤベーヤツだな。
みんな笑っていたから、そういう遊びなんだと思ったんだけど…。

その後もなんかあった気がする

その子達とはなんだかんだで卒業まで一緒にいたと思う。

黒板に答えを書きに行くときに背中に「バカ」という張り紙をされていたこともあったっけ。
意外と気づかないのにびっくりした。
服と体には細かく見ると空間があるから、その空間のところ、しわが飛び出している部分にしか触れないようにすれば、体に当たらないから気づかないのだろう。

あと6年の頃に、登校するとクラスで流行り出したリップクリーム?で机にも「バカ」と書かれていたこともあった。
放課後には書いてなかったから、朝一に書いたのかな?

まず第一の感想が「オレはバカじゃないから席を間違えたのかな?」だった。
結局冗談だったのかどうかは分からないけれど、もし悪意があったのだとしたら、なんて張り合いのない…。

どうやら自分の座席で間違いないということを確認した後、いつもの悪ふざけに比べると手が込んでいるのと、私の机なんて大してきれいでもないのに(ティッシュがないとき、時々鼻水なびってた)、その後でそのリップクリーム使うのかな?という疑問が第二の感想だった。
そういえば、誰がやったのかは分からなかったな。
学校の備品がどうなったってどうでもいいし。

これもなかなか面白かった。
長方形の机に2文字は女子が書いたのか、キレイだった。
どうやら真ん中で均等に割るイメージで線を入れるように考えるとキレイにスペースを分配できるらしい。

あとは、リップクリームの材質。
もちろん当時は自分では持っていなかったので知らなかったけど、触るとけっこうベトベトする。
のりでもないのに。
雑巾で乾拭きすると延びるけど、水拭きすると落ちる。
人体に害ってことはないだろうけど、お風呂とかで落ちやすいってことだ。

たしかに、意図した時に落とせないと使いにくいだろうしな。
化粧道具っていうのはそういうもんか?
その発見を母親に話すと動揺していたから、あれ?コレ、深刻?と思ったっけ。

またあるときは、塾に行っていた子を泣かせてしまったことがあった。
そのときたまたま隣の席で、忘れ物の多い私に学級委員タイプのその子が教科書を見せてくれた。
そのときは算数で、年度末か何かで先生は教室で仕事している間、教科書の計算問題をひたすらやれという授業。

今なら、分かる。
私は、恐ろしく計算が速いのだ。
これだけ勉強している長男くんよりも、なお、学校の教科書に出てくるレベルの計算だけなら当時の私の方が速いだろう。

教科書を見せてもらっている側なのだから、もう少し気を遣えばいいものを。
教科書見せてもらうような、そんなうっとおしい状況をとっとと解消しようとした私は、全速力で解いてしまったのだ。

あっという間に終わるページの半分。
彼は、まだその半分くらい。
彼も彼で、「机の右側から見た方が速くできるのかなぁ?席変わって」とか言いだす。

そして、意味不明に席替えする私達。
当時の私は、「ホントにこれでスピード変わるのかな?」と裏ワザが見つかるかもしれない状況にウキウキしていたけれど、もちろんそんなことでスピードが変わるわけもない。

せめて、ここで気づいておけばよかったのに…。
普通に、彼が半分を終えるくらいで、私は見開きを終えて、次のページに行けるのを待っていた。
「オレ、もうこのページ終わったから、そっちが終わったらページめくってー」みたいな。
なんだか必死に解いている彼に対して。

困ったのはその後。彼が机を叩いて泣き出してしまった。
怒鳴ることと叩くことには慣れていても、なぐさめ方はよく知らない私。

ましてや相手は男。
泣いても、血が出ているわけでもないのに、男兄弟しかいない我が家では追い打ち攻撃の対象だ。

内心困っていた私が掛けた言葉は、ナチュラルに男塾風になってしまった。

そしてついに先生登場。
「教科書見せてもらっているのに、なんで泣かせてるの!謝りなさい!」ともっともなお叱り。
でも、なんて謝ればいいかが分からない。

結局「教科書見せてもらってるのに速く問題解いてごめんなさい」とか言った気がする。
なんだそりゃ。

そんな愉快な日々

経緯は忘れてしまったけれど、なぜだか6年のときは生徒会に入っていた私。
推薦されるとは思えないから、どうせ立候補者がいなかったんだろう。
クラスの男女で入るのだけれど、一緒に入った子はロクに話したこともない子だった。

大人しいとしか思っていなかったけど、でも、引っ込み思案というわけでもないし、話すときはしっかりした口調で話す。
中受というシステムを知らないまま、何も考えず地元の公立に進んだときにはいなくなってしまっていた子。
当時は引っ越し?としか思っていなかったけれど、今覚えば、私立に進んだのかもしれない。

あるとき何かのタイミングで2人きりになった作業中、聞かれたことがある。
「はむくんは、なんであのグループにいるの?嫌じゃないの?」と。
…ということは、やっぱりイジメられてるように見られていたのか?オレ?

「なにがー?」と天真爛漫な回答をする当時の私。
あれ、なんだかマジメな雰囲気。
真剣な顔つき、凛とした目つきがかわいい子だなーとか思って、ちょっとドキっとしていたっけ。
「学校、辛かったりしない?」

辛いって、6年生は6時間授業が多いから拘束時間が長いことかな?こんな委員会活動もあるし。
「遊ぶ時間が減っちまったのはイヤだけど、元々面白いもんでもないじゃん、学校なんて。そっちはどうー?なんか困ったことでもあったりするー?」

当時、「質問に答えて会話を終わらせるんじゃなくて、相手にも質問を聞き返すようにしなさい」と母から習った私は実践してみた。
「あぁ、うん、私は、別に…」と答える彼女。

なんだ?自分は聞いてきたわりに?煮え切らねぇ返事だな。
なんか困ったことでも実はあるのだろうか?
なんだかクラスで女子の仲が悪いらしいけど大丈夫?って親から聞いた気もするしな?

「なんか困ったら出来ることはするぜー。同じ生徒会だしなー」と何かのマンガで読んだようなことを言って、「決まった」と思う私。

今なら分かる。
彼女の困惑の理由が。
「私じゃねーよ、お前だよ」という気持ちだったんだろう。

悪意への対処

なんだか普段思い返しもしない小学校時代を今の私が振り返ると、けっこうなことをやられている気もするし、相当やらかしてきた気もするな…。
直接的な暴力とか、オレの備品への危害はなかったから、気にしてなかったけど。

まぁ、生活の主体が家で、学校とかつまらなかったから、心底どうでもよかったんだよね。

この頃あたりからゲームのルールが分かってきたのもあって、信長の野望とかダービースタリオンとか風来のシレンとかちょっと小難しい系も始めて、その日にどうしようか、どうすればうまくいくかとずっと学校でも考えていた気がする。

結局、悪意がある環境で、それにさらされていたとしても、気づかねぇと受信しようもない。アンテナ壊れちゃってたんだろうな、オレ。

二男くんはともかく、長男くんも似たようなもんだろうに、5年生も冬になって相当荒れて来たりしたのだろうか。
ちょっと心配だけれど、公立の学校なんてそんなもんだよね、と高校まで公立だった私としては思う。

ちょっと嫌だな、くらいなら人生経験ってもんかな。
もし大分嫌だな、ってくらいにまでなってしまったら…。

どうすればいいんだろ?
少額訴訟って、60万円までになったんだっけ?たしかクロサギであったよね。